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サッカーの見方は1日で変えられる
ジャイアントキリングを起こす19の方法
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国籍 |
スウェーデン |
生年月日 |
1971/09/20 |
ポジション |
FW |
身長・体重 |
178cm72kg |
特徴 |
キープ力
決定力 |
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ザッケローニの言葉
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▼選手紹介▼プレースタイル
身長はそれ程高くないが、高い打点のヘディングを持ち、ボールにピンポイントで合わせたダイビングヘッドも何度も決めている。同時に高いキープ力を持ちポストプレーも得意とする。2005-06年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝(対アーセナル戦)では、1点をリードされていたが、後半途中から投入されラーションがポストプレーを生かした2アシストでバルセロナを優勝に導いた。 また強烈なシュート力もさることながら技術を生かしたフワリとしたループも得意としており、浮き球パスをダイレクトでシュートするセンスにも長けている。
もともとはウイングの選手であり、セルティックに移籍するまではストライカーではなかった。
00-01シーズンにESMヨーロッパゴールデンシューを獲得した際のインタビューで、リーグのレベルの低さを指摘されたことに、 「スコットランドリーグは世界一ではないかもしれないが、世界最低のリーグからはかけ離れていると思う。どこでプレーしていようとも、ストライカーの仕事は変わらない、ゴールを決めることじゃないか。」と答えた。
2004-2005シーズンバルセロナに入団した際、最初の背番号は17だったが、同オフ中にサビオラがASモナコにレンタル移籍したため背番号7に変更になった。そのためジャパンツアーでは17番をつけて試合に出場していた。 引退後のインタビューで「唯一後悔していることといえば、マンチェスター・ユナイテッドに残らなかったことだ。監督、チームメイト、サポーターから信頼されていたし、もう少し残ってチームの手助けをすればよかった。」と漏らしており、ファーガソンのことを「3か月しか一緒に仕事をしなかったが、私の人生にとって偉大な人だ。監督としても私の中ではベストだ。」とも言っている。
父はカーボベルデ出身で、母はスウェーデン人である。22歳の時、1994年のアメリカW杯にスウェーデン代表として出場し、同国の3位入賞に貢献。ブロンドのドレッドヘアーという独特な風貌も相俟って、一躍世界にその名を知られるようになる。
1997年にスコットランドのセルティックに移籍後、本格的にその才能を発揮。00-01シーズンには35ゴール(カップ戦も合わせると計50ゴール)を記録し、欧州のトップスコアラーに与えられるESMゴールデンシューを受賞している。
一時スウェーデン代表への招集を拒否していたが、息子の「なぜ代表で試合しないの?」という言葉を受け代表復帰。2002年の日韓W杯では再び攻撃の中心として活躍しベスト16入り。自身も3ゴールをマークした。02年W杯後代表引退を表明し離脱するも、国民から代表復帰の要望があり、ユーロ2004を前に復帰。ブルガリア戦では2ゴールを決め、スウェーデンはグループリーグ突破し、ベスト8に大きく貢献。2006年ドイツW杯でも中心選手として活躍し、グループリーグのイングランド戦では試合終了間際に同点弾を決めるなどしてチームは決勝トーナメントへ進出した。しかし決勝トーナメント1回戦の開催国のドイツとの試合ではPKを外し、チームも敗れてしまった。そして7月17日、スウェーデン代表を引退することを決意。
元セルティックのオニール監督からは、ガブリエル・バティストゥータ以上との評価を貰っている。 ゴールを決めた後、両手を広げて舌を出すパフォーマンスも有名である。
2005年に歴代の名選手を抑えスウェーデン歴代最優秀選手に選出された。
2005-2006シーズンではバルセロナでリーグ優勝・UEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験。
2005年12月28日に、2005-2006シーズンいっぱいでバルセロナを退団し、母国スウェーデンへ戻ることを発表した。2006年7月から古巣ヘルシンボリIFでプレーしている。しかしながら、ハビエル・サビオラ、サミュエル・エトオ、リオネル・メッシの三名のフォワードを欠くバルセロナが再獲得を目指すとの報道がなされたが、2006年12月にマンチェスター・ユナイテッドが3ヶ月間の期限付きで獲得することが発表された。これはスウェーデン国内リーグの開催期間が4月〜10月と短い点を突いた「裏ワザ」的な獲得であり、前線の駒不足に悩んでいたマンチェスター・ユナイテッドの救世主となった。ファーガソン監督からは直接残るように要請を受け、サポーターからも残留を希望する声が聞こえていたが、退団後は元通りヘルシンボリでプレーした。
2007-08シーズンのスウェーデンリーグでの活躍で、一度は代表を引退したラーションは代表監督のラーシュ・ラーゲルベックに説得されEURO
2008の同国代表に選出、代表復帰を果たした。大会終了後には、「代表チームが必要としてくれるのであれば、引退はしない。」と、今後も代表でプレイしていく意向を示した。2009年、南アW杯予選敗退をもって改めて代表から引退をした。
2009年11月1日、リーグ最終節のIFエルフスボリ戦をもって引退した。 試合終了後の引退セレモニーではマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督や元同僚のカルレス・プジョル、シャビ・エルナンデス、そしてスウェーデン代表でチームメイトだったズラタン・イブラヒモビッチから贈られたビデオレターがスクリーンに映し出され、それを観たラーションの目には涙が浮かんでいた。
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