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国籍 |
イングランド |
生年月日 |
1979/12/14 |
ポジション |
FW |
身長・体重 |
175cm69kg |
特徴 |
スピード
決定力 |
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▼選手紹介▼プレースタイル
イングランド代表の得点ランクでは現役選手1位で、歴代4位の40得点を誇る。
一瞬で相手DFを置き去りにするレスポンスとトップスピードが武器の選手で、裏に抜け出す・相手DFラインとの駆け引きがとても上手な選手。18歳でプレミアリーグの得点王をとり、バロンドールも受賞した純粋な点取りCFである。、
リヴァプールFCのユースチームより、1995年に昇格してプロ契約を結んだ。1997年5月にプロデビューを果たすと、1998年2月には当時のイングランド代表史上最年少で代表に招集され、その年の5月には対モロッコ戦で初ゴールをマーク。さらに同年、フランスW杯のメンバーに抜擢された。決勝トーナメント1回戦の対アルゼンチン戦では先発出場し、センターサークル近辺でパスを受けた直後にドリブルを仕掛け、ディフェンダー2人を抜いてゴールを決めた。このゴール以降、オーウェンには「ワンダーボーイ」と言う綽名がついた。
リヴァプールのエースとして前線に君臨し、FAプレミアリーグでは1997-1998、1998-1999の2シーズン連続で得点王を獲得。
リヴァプールでは216試合出場118得点という驚異的な成績を残した。
2004年にはリーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリードへ移籍した。ロナウド、ラウル・ゴンサレスが在籍しており、先発出場の機会は限られ、途中からの出場が中心となった。また当時のレアル・マドリードの監督であったルシェンブルゴとフィーゴの確執により二人の関係が悪化したこともあり、2005年のエル・クラシコではスタメンを獲得。その試合で、デビッド・ベッカムの縦パスからディフェンスの裏へ抜け出し4点目を挙げて4-2の勝利に貢献した。それ以降は先発出場機会が増え、トップにオーウェンとロナウドを、セカンドトップ(1.5列目)にラウルを置くという変則3トップを形成し、レギュラーとして残り試合を出場した。そもそも、リヴァプールを去った理由は、チャンピオンズリーグのタイトルを狙いたいからであった。しかし、皮肉にも、オーウェンが去った年のリヴァプールは快進撃を続け、ビックイヤーを獲得した。
2005-2006シーズンより故郷であるイングランドに戻り、アラン・シアラーの誘いでニューカッスル・ユナイテッドへ移籍した。この時の移籍は、監督であるルシェンブルゴがブラジル人を重用し、さらにこの年、ジュリオ・バティスタ、ロビーニョといったブラジル人選手を獲得して監督の構想から外れ、また、移籍期限ギリギリにセルヒオ・ラモスを獲得するための移籍金捻出のために、オーウェンはレアル・マドリードを退団する事となった。この年チーム内最多の38試合に出場(その内20試合がスタメン出場)し、さらにチーム内2位の16得点(得点率は1位)を挙げた。
ニューカッスル・ユナイテッドFCに入団したオーウェンであったが、2005-2006年度、職業病とも言える中足骨の骨折により戦線離脱することになった。骨折治癒後の2006年5月8日、自身3度目となるドイツW杯のメンバーに選ばれるも、6月20日に行われたグループリーグ最終戦、対スウェーデン戦の試合開始1分で右ひざの十字靭帯を断裂。全治5ヶ月の怪我を負いチームから離脱した。ちなみに試合開始1分での退場はワールドカップ記録である。リーグ戦もフル稼働することは少なく、2008-2009シーズンに所属したニューカッスルは降格している。
2009年7月3日、ニューカッスルとの契約が終了したオーウェンが、マンチェスター・ユナイテッドFCと2年契約を結んだことがマンチェスター・ユナイテッドのホームページで発表され、7月13日の記者会見で背番号が7番となる事が発表された。9月のマンチェスターダービーでは後半ロスタイムに決勝ゴールを挙げている。12月8日のUEFAチャンピオンズリーグ・VfLヴォルフスブルク戦では、自身2005年以来となるハットトリックを達成した。
2010 FIFAワールドカップは、2月のフットボールリーグカップ決勝で太もも裏を負傷したことにより、欠場となった。
2001年のバロンドール獲得前後から、国内外への移籍の噂が紙面を賑わしたが、当時のリヴァプール会長は、「世界中の全ての金を集めたとしても、マイケルの右足1本分にもならない」と発言し、チームとして絶対に放出はないと強調していた。
オーウェンがレアル・マドリードCFからイングランドのニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍し、2006年12月26日、初めて敵としてアンフィールドに帰還した時である。試合前の選手紹介では、ブーイングと同じ位の拍手が起こった。オーウェンが試合中に初めてボールを受けた時、一部のファンにより「Where
were you in Istanbul?(イスタンブルの何処にいたんだ?) 」のチャントが歌われた。
しかし、試合の後半、シャビ・アロンソに対するファウルによって、リー・ボウヤーがレッドカードを受けると雰囲気が一変し、オーウェンがボールを受ける度、前述した「Where
were you in Istanbul? 」はもちろん、「what a waste of your talent!」や「you've joined
the big club!」も歌われた。
このことに対してスティーヴン・ジェラードは「マイケルは今でもリヴァプールのレジェンドでファンは拍手で歓迎するべきだ」とコメントした。また試合後にもジェラードやジェイミー・キャラガーがオーウェンに対するブーイングは非常に残念で悲しかったと発言している。なお、ジェラードは長年、「オーウェンとイングランド代表だけでなくリヴァプールでもプレーを行いたい」との発言をし続けている。
2009年10月25日にも、アンフィールドで行われた2009-2010シーズンのプレミアリーグ第10節、リヴァプール対マンチェスター・ユナイテッド戦にて後半29分、オーウェンが途中交代で出場すると多くのリヴァプールサポーターからブーイングが起こった。
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