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国籍 |
日本 |
生年月日 |
1978/09/06 |
ポジション |
MF |
身長・体重 |
167cm54kg |
特徴 |
決定力
パス精度 |
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▼選手紹介▼プレースタイル
決定的なパスを多く出す日本の司令塔。MFながら圧倒的な得点力と決定力を誇る。豊富な運動量で守備も厭わない。2011年ワールドカップでボランチのポジションながら得点王とMVPに輝く。
幼い頃、兄の所属していたサッカーチームにコーチの勧めで参加した事が、その長いキャリアのスタートとなる。同じチームに中村憲剛がいた。
その後、鮮やかに才能を開花させていった澤は1991年、僅か12歳で日本女子サッカーリーグにデビュー。日本最高峰のリーグで揉まれながらメキメキと頭角を現し、ついには1996年、現在も最年少記録となる15歳でフル代表に選出された。
それから現在に至るまで、日本の主力として日本の10番として167の代表キャップを刻み、75得点を記録している。
東京都府中市出身。東京都立南野高等学校卒業。
最終学歴は帝京大学文学部中退。ポジションはミッドフィールダーで、おもにトップ下で司令塔としての役割を務めること多い。女子代表、リーグともに歴代トップのゴール数を記録している。
幼いころ、兄の所属するサッカーチームでコーチの勧めによりプレーし、そのときにゴールを決めたことでサッカーを始める。中学生のころに読売サッカークラブ女子・ベレーザに入団し13試合5得点を記録する。のちにアメリカのプロリーグ「WUSA」にも所属したが、リーグの休止に伴い2004年にL・リーグに「ノンアマ(プロ契約)選手」として復帰。その後も日本国外のチームからのオファーを受けるが、なでしこジャパンの選手としてベレーザでのプレーを続けている。
2008年オフ、2009年開幕予定であったWPSからドラフト指名を受け、2009年1月にワシントン・フリーダムへ移籍した。ワシントンでは20試合に出場し、3得点を挙げた。同年8月、古巣の日テレに一時的に復帰することになった。
2011年1月5日、大野忍、近賀ゆかり、南山千明とともにINACに移籍すると発表された。
90年代のアジアの王、中国は次第に衰え、00年代その座を明け渡す事になる。そう、北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国である。
澤と言う世界屈指の才能を加えた日本は、アジア最強の座を賭けて北朝鮮と幾度となく死闘を繰り広げていく。
2003年のAFC女子選手権。順調にグループリーグを突破した日本は準決勝で最強北朝鮮と激突する。しかし、このとき両者の間には絶対的な力の差があった。3対0。スコア以上の惨敗であった。
リベンジのチャンスは四年後に訪れる。奇しくもAFC女子選手権の舞台。そして、今回は決勝での再戦であった。
北朝鮮に敗れてからの四年。日本は地道に力を蓄えていた。組織の整備、永里などの若手の台頭。今度こそアジアの頂点へ。チームの士気は高かった。
しかし、蓋を開けてみれば北朝鮮に圧倒される試合展開。
澤や、DF陣の奮闘により、どうにか延長戦を無失点で凌ぎきりPK戦に持ち込む事には成功した。しかし、そこまでだった。延長戦で力を使い果たした日本はPK戦の末、涙を呑んだ。
三度目の挑戦はまたも四年後。因縁のAFC女子選手権で、今回も決勝だった。
試合は互角の展開が続くなか、CKから岩清水がゴール。それが決勝ゴールとなった。北朝鮮の猛攻をかろうじて凌ぎ切った日本はついにアジアの頂点に立ったのだ。
なお、この大会のMVPは主将で大黒柱の澤。代表デビュー時中学生だった彼女は既にチームの最古参となっていた。
なでしこの名を一躍有名にしたのは、北京五輪の大健闘。
GL最下位で姿を消した男子代表とは異なり、なでしこは4位入賞を果たした。そのなでしこの躍進の裏にこんなエピソードがあった。
うだるような猛暑。
しかも会場は日本と複雑な歴史関係の中国。
日本の対戦相手には拍手を送り、日本には容赦のないブーイングを浴びせる観客(国歌にさえブーイングでかき消した)。
会場の雰囲気に呑まれたのか、公正とは言えない審判。
そして、経験の浅い若きなでしこ。
これだけの悪条件のなかで、それでも日本が躍進出来たのは何故か?
あるメンバーは澤のおかげだと答えた。澤の一言で最後の一秒まで頑張れたと言うのだ。「苦しい時は私の背中を見なさい」 十五年、日本の誇りを背負い続けた澤だからこそ言える言葉だった。
北京五輪での四位入賞。アジアの王者。名実ともに、なでしこは世界の強豪となった。そして2011年6月。恐らく澤の最後の大舞台が開催される。女子W杯である。
日本が誇る10番は本気で優勝を狙っている。
特に今大会での、世界トップレベルの中盤を構成する阪口とのコンビネーションは圧巻。第2節メキシコ戦でハットトリックの大活躍。決勝トーナメント進出を決める。
この試合のハットトリックによって、釜本の持つ日本代表の通算得点75の記録を塗り替え単独一位となった。準々決勝の相手はW杯2連覇、ランキング1位、自国開催のドイツ押される展開が続く中、延長後半3分、丸山のゴールで1-0で勝利。初のベスト4進出を決めた。アシストは澤だった。準決勝スウェーデン戦。立ち上がりこそ先制を許す苦しい展開を強いられたものの、今大会初先発の川澄が2ゴール、さらに澤が決勝点となる2点目を決める活躍で日本サッカー史上初のW杯決勝進出を決めるそして決勝のアメリカ戦。後半一点をとられたものの一点を取り返し同点に。さらに、延長でアメリカの長身FWワンバックに一点をとられたが終了間際の延長後半、コーナーキックから澤が頭で合わせて同点ゴールを決め、PK戦に持ち込む。またこのゴールで得点ランキング単独トップに。そしてPKの末、遂にアメリカに勝利。得点王と大会MVPを獲得。まさにワールドカップ優勝の立役者となった。
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